

霊宝館のシャクナゲ。

大正15年(1926)の園遊会。霊宝館前にて。
霊宝館の紅葉。

昭和10年代

昭和30年代

昭和40年代 |
霊宝館の庭園と庭木
霊宝館の設立は、大正4年(1915)の高野山開創千百年記念事業の一つとして計画され、当時の見識ある財界人の情熱と、献身的な努力によって大正10年(1921)に開館するに至りました。この時建設された本館は、現在まで老朽化が進みつつも電気照明以外ほぼ当時のままの状態で開館しており、山上でも数少ない大正建築としても貴重な存在となっています。
霊宝館の境内敷地は、防火の目的もあって、都合18ヶ院分という高野山では驚くべき広範囲な土地を確保しています。これは当時の霊宝館建設顧問方による努力の結果だと思われます。この時のこうした見識と指導によって、現在のように第二第三といった収蔵庫を建設することができ、また庭園区域としても十分な広さを有することとなりました。
庭園と園遊会
霊宝館の庭園整備は財政難であったため最小限度で計画されました。それでも境内には池が設けられシャクナゲ、カエデ、コウヤマキなどが植えられるなど、季節を通して美しい木々の変化が楽しめるように工夫がなされました。さらには、昭和30年代の頃からか東屋(あずまや)も設置され、高野山の数少ない憩いの場ともなっていました。
霊宝館における植樹記録を下の表にまとめてみました。この中で、大正11年(1922)の山桜、カエデ各200本などが高野索道で山上まで運び上げられ植樹されたのが、現在の庭木の基本となっているようです。現状では池なども涸れてしまって庭園と呼べる状態ではないのかも知れませんが、当時は整備も行き届き、職員達は仕事の手が空くと庭園へと出て、掃除等に余念がなかったようです。
こうした中、庭園整備が一段落した大正15年(1926)6月2日、霊宝館の境内地において園遊会が行われています。この園遊会は高野山大学が県下で唯一の大学として昇格認可された時の祝賀祭で、右の写真は霊宝館前で撮られています。どういう訳か写っているのが女性と子供ばかりです。いずれにしてもこの時期には、霊宝館境内が庭園という認識であったことにはなるかと思われます。
ノムラカエデ
霊宝館の多くの庭木の中でも、特筆できるのはカエデということになります。なんといっても春の発芽時に葉が赤く、夏には緑色、紅葉時には鮮やかな紅色となるという特徴があり、拝観者の方々から、春なのに「もう紅葉しているのですか?」と真剣に尋ねられることも少なくありません。このように葉の色が変化するカエデは盆栽などでは珍しくないのですが、庭木としてはさすがにピンとこないのかも知れません。
こうしたカエデは、通常イロハモミジの園芸品種として改良されたものといわれており、代表的なものとしてはデショウジョウ、チシオ、ノムラなどといった名前が知られています。
大正11年、霊宝館に植栽したカエデは、野村楓(ノムラカエデ)として兵庫県より納品されていますので、一応のところ「野村楓」ということになります。しかし、このカエデには業者からの申し添えがあり、「実生後、その八割は山楓、一行寺楓に変じる」というのです。つまり苗木の状態では野村楓だけれども、いざ育ってみると普通のカエデとなる可能性があるという、実に曖昧な品種ということになります。しかし、現、霊宝館のカエデの状況を見ますと、春に葉が赤くなるのが大半ですので、どうやら二割以上の割合で野村楓として成長したようです。
ところで野村楓の「野村」は、本来「濃紫(コムラサキ)」という名前であったのが、いつしか「濃紫」を「ノムラ」と呼ぶようになり「野村」という字が充てられたとも言われています。
日本に分布するモミジの代表的なものは24種といわれますが、霊宝館には春秋と二度紅葉を楽しめる、こうしたノムラカエデが植栽されています。やさしい日差しに透かされる赤やオレンジの紅葉はみるものを圧倒し、細い秋雨に濡れた紅葉はなんともいえない風情にあふれています。10月の声を聞くと、霊宝館のカエデや桜の紅葉がはじまります。
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