

昭和39年基礎が完成した状態の灯籠塔。写っているのは草繋師と晃円尼。高野山時報より転載。

地蔵尊像

火袋部飛天像

童女と地蔵尊

完成記念。ご家族での集合写真 |
完成:39年(1964)12月16日
作者:角田蘇風(つのだ そふう)
建設発起人:野村晃円尼
修復:平成21年6月24日完成
奥之院一の橋を渡って右手に伸びる石畳の先に、「六地蔵尊灯籠塔」(ろくじそうそん とうろうとう)という建物があります。
灯籠塔の建設発起人は東京の野村晃円(1895〜1979)という尼僧さんで、弘法大師の夢告げを受けて発願したといいます。晃円尼さんは全国を行脚、寄進を募って建設費用を調達し、当時、六地蔵尊灯籠塔としては日本一の高さを目指して建設されたといわれています。
完成は昭和39年(1964)12月16日で、高野山が開かれて1150年、さらに明治から数えて100年を記念しての建物ともなりました。
六地蔵尊灯籠塔の作風
六地蔵尊灯籠塔の高さは台座を含めるとおよそ8.0メートル、基本的な形は石灯篭のそれで、竿や中台、火袋、笠、宝珠といった部分で構成されています。竿にあたる位置の六面には、等身大で乳白色の六地蔵尊を配し、その上部の火袋には飛天や水波、龍、鳳凰(ほうおう)などがレリーフされています。頂上の宝珠は蓮台をかまえ、宝珠自体には梵字が付けられています。
台座の表面はコンクリート面に拳大(こぶしだい)ほどの自然石を一面にはめ込み、その内部は空洞となっています。
構造は鉄骨コンクリート造りでモルタル仕上げとし、六地蔵尊像などもモルタルの上に彩色が施されているものと思われます。
塔全体を支配する作風は、形式にとらわれずきわめて独創的です。それでいて、地蔵菩薩像や飛天像などに見られる慈愛あふれる表情は、特筆すべき点であるといえます。
作者角田蘇風さんのこと
六地蔵尊灯籠塔の作者が角田蘇風(つのだ そふう)という方であることは、灯籠塔の基台部に取り付けられている銘文によっても判明します。
蘇風さんは、明治31年(1898)7月1日和歌山県かつらぎ町の松岡家に生まれました。松岡家は寺社などの鬼瓦を制作する瓦屋を営んでいましたが、長男ながら角田家の養子となります。その後、明治期の南画家(なんがか)である角田梅崖(つのだ ばいがい)の後継者となり、仏像を製作するようになってからは角田蘇風と名乗りました。
昭和30年代頃には和歌浦(和歌山市)に工房を構え、工芸作家として樹脂加工の作品を手がけて活動していたことが知られています。しかし最晩年期の蘇風さんは東京に住まいを移し、昭和52年(1977)、79歳で亡くなりました。
次に蘇風さんの作品を見てみることにしましょう。
角田蘇風の作品1 和歌山城の伏虎像
角田蘇風の作品2 風吹山弁財天院の諸尊
角田蘇風の作品3 アトリエと制作風景
|