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内八葉・外八葉について
高野山周辺の山々




内八葉の一つ、伽藍御社裏の山王峯
内八葉の一つ、伽藍御社裏の山王峯(御社山)。文化13年高野山絵図より(以下全て)。

内八葉の一つ、神応峯
内八葉の一つ、神応峯。過去には頂上に祠があったことがわかります。

剣崎峯
剣崎峯は遍照光院の後山となりますので、八葉峯には入らない可能性があります。

内八葉の一つ、小塔峯
内八葉の一つ、小塔峯。絵図では大塔の北に正智院の後山に描かれています。

外八葉の一つ、今来峯
外八葉の一つ、今来峯。西南院の後山で、大門山のことかと思われます。

外八葉の一つ、遍照峯
外八葉の一つ、遍照峯。伽藍の南、中門前山のことだと思われます。

※「高野春秋」は享保3年(1718)完成。
「紀伊続風土記」は天保10年(1839)完成。




 高野山はいくつもの峯々が折り重なっていることで、東西に長く南北に狭い盆地を形成しています。古来、こうした地形を表現するのに、東西に龍が伏せているのだとし、さらに南北には虎がうずくまっていると形容されてきました。高野山ならではの表現ということができます。
 平安時代の後期頃には、高野山がこの世の浄土、仏の世界であるとする信仰がおこりました。こうした信仰からは、高野山を浄土の象徴ともいえる蓮花の台(うてな)と見たて、周辺の峯々が内八葉・外八葉と称して内外二重の蓮の八葉(花弁)であるとされました。
 内八葉・外八葉の話がでてくる文献で古いものには、道範(1178〜1252)というお坊さんの「高野秘口」というものがあり、高野山にまつわるチョット不思議な伝説や縁起が載せられています。このことから、八葉峯の話は平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて説かれた可能性があることになります。

 内八葉峯の名称
 内八葉の名称が出典によって必ずしも一致していないことが下の表からわかります。単に峯の呼び名が異なっているとも考えられますが、逆に、時代によって峯の名称が変わっているとすると、「高野秘口」などに記される内八葉の名称と実際の峯とが明確にされてこなかったことを意味するものと思われます。
 たとえば「高野春秋」では、剣崎峯が内八葉の一つとなっていますが、現在、剣崎峯と呼ばれる峯は遍照光院の後山になりますので、壇上伽藍、特に根本大塔を中心として、それを取り囲む峯々を内八葉とすることからは、ずいぶん矛盾していることがわかります。これについては、既に「紀伊続風土記」でも問題点として取り上げられています。

出 典 内八葉の名称
高野山秘記 伝法院山 持明院山 中門前山 薬師院山
(無記) 正智院山 真言堂後 勝蓮華院
高野山秘口
高野山秘事
伝法院山 持明院 中門前山 薬師院
御社 正智院 真言堂後 勝蓮華院後
高野春秋 剣崎峯 南虎峯 宝珠峯 薬師山
山王峯 神応岳 小塔峯 勝蓮花峯
高野伽藍院跡考
野峯略記
剣峯 南虎峯 遍照峯 今来峯
(薬師山)
山王峯 神応峯 小塔峯 業峯
内八葉の図『野峰略記』より



内八葉の図

大塔を中心として、南方から右回りに遍照峯、今来峯、山王峯、神応峯、小塔峯、業峯、剣崎峯、虎峯とあります。
『野峰略記』(文化6年[1809])より。

 外八葉峯の名称
 道範さんの「高野秘口」などには、どういうわけか外八葉の名称については詳しく触れられていません。ところが「高野春秋」や「高野伽藍院跡考」には明確に金剛峯・小塔峯・山王峯・遍照峯・転軸山・楊柳山・摩尼山・姑射山を外八葉としています。これに対しても「紀伊続風土記」の著者は異論を呈していて、外八葉として下の表に記した名称をあげています。こうした状況から考えられることは、後世になって信仰上の八葉の峯を実在の峯々に無理に当てはめていった結果生じた状況ではないでしょうか。

出 典 外八葉の名称
高野春秋 金剛峯 小塔峯 山王峯 遍照峯
転軸山 楊柳山 摩尼山 姑射山
紀伊続風土記 大門山 嶽山 鉢覆山 転軸山
楊柳山 摩尼山 姑射山 宝珠峯
高野伽藍院跡考
野峯略記
金剛峯 山王峯 小塔峯 遍照峯
(宝珠峯)
摩尼山 楊柳山 転軸山 姑射山
外八葉の図『野峰略記』より



外八葉峯の図

南方から右回りに遍照峯、、山王峯、金剛峯、小塔峯、転軸山、楊柳山、姑射山、摩尼山とあります。
『野峰略記』(文化6年[1809])より
 

 以上のように見ますと、特に外八葉については、八葉と実際の八峯はあまり明確なものではないことがわかります。また内八葉に相当する峯自体の名称も、下の表のように時代によっては異なり、明確さも薄れているように思われます。
 内外八葉を実際の峯に当てはめることよりも、高野山は内外八葉の峯に包まれている浄土である、というのが主な唱道目的であったとしますと、道範さんが「高野秘口」において外八葉の名称を明らかにしなかったこともうなずける気がしてなりません。

「紀伊続風土記」による内八葉
内八葉名 別 称 場所
持明院山 東南峯・虎峯とも 釈迦文院の後背
中門前山 遍照岡・遍照峯 覚海社の付近
薬師院山   桜池院の南
御社山 宮代山・山王峯・西岡 伽藍御社の後背
正智院山 神応岡 正智院の後山
真言堂山 獅子岳 大塔の真北
勝蓮華院山 阿弥陀峯 金剛峯寺
新別殿の後山
伝法院山 御社山・護鴈山 金剛峯寺の後背

2006.4.2
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