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1.稚児ノ間の地蔵尊 (ちごのまのじぞうそん)
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金剛峯寺 稚児ノ間


稚児ノ間
稚児ノ間
菅原道真秘蔵の御神印
菅原道真秘蔵の御神印

稚児ノ間の地蔵尊
稚児ノ間の地蔵尊
 金剛峯寺本殿には、稚児ノ間と呼ばれる十畳ほどの一室があり、床の間には、厨子に収められる地蔵菩薩立像がおまつりされています。像高は82.5センチメートル。桜材の一木から彫り出されているかと思われ、彫りが浅く、流れるような衣の表現などから、平安時代後期頃の製作であることがわかります。
 本、地蔵尊は、もともと金剛峯寺に伝来したものではなくて、大正時代に副島・諸岡の両家によって奉納された尊像です。奉納にいたるまでの経緯(いきさつ)については、明治時代にまでさかのぼることになります。

 副島伯爵と地蔵尊
 副島種臣伯爵(そえじまたねおみ はくしゃく)という、明治期に活躍した佐賀藩出身の政治家がいました。ある日、伯爵は東京の骨董屋で一体の地蔵菩薩像を見つけます。伝えることろによると、その地蔵尊は、もとは河内の国(現在の大阪府藤井寺市)の道明寺に伝来したというのです。道明寺は菅原道真(すがわらのみちざね)ゆかりの尼寺として有名で、明治期の神仏分離令に際して、天満宮境内から隣地へと移されました。その時、どういうわけか地蔵尊が流出し、それが巡りめぐって今ここにあるというわけです。
 実は、副島家というのは菅原道真を遠い祖先とし、しかも代々の家宝として、菅原道真秘蔵の御神印というものが伝えられているほどの家柄でした。もっとも伯爵自身は、副島家の養子として家督を相続した立場にあったのですが、地蔵尊をこのまま見過ごすことができずに買い取ったものと思われます。そして、越前堀(東京)の鍋島下屋敷にて丁重におまつりし、朝夕に香華を供えていたと伝えられています。伯爵が越前堀に転居したのは明治13年(1880)で、明治29年(1896)には千駄谷原宿に移転していることから、この間に地蔵尊を入手したことになります。

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2006.3.5
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