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たすけの地蔵さま
山内寺院と諸堂


お堂前に建つ助の地蔵尊由来碑
お堂前に建つ助の地蔵尊由来碑
「このお地蔵さんは元熊野辻の地蔵さまと申されておりましたが、私が若い頃病になり死を決してお参りした際人間の苦厄は凡べて慾から起る取得より施善こそ人の道であると諭され一切の欲望を捨てたとき病は治り極楽の心境まで興えられました それから誰いうとなく助の地蔵というようになり 信者が日増しに多くなって来ました 今後永年の報恩と更に人類の幸福世界平和のために仏徳降授を祈願してこの碑を建立したものであります
昭和四十五年秋 高野山 杉本新太郎」

お助け地蔵尊
お助け地蔵尊

大門からの参道兼、女人道
大門からの参道

『続高野春秋』あらたの清子著
『続高野春秋』あらたの清子氏著 昭和34年 高野山出版社発行



メモ
女人道
明治以前、高野山は女人禁制が敷かれ、女性が山内に入ることは許されませんでした。そこで女性の参詣者は、高野山の周辺の山々を巡ってお参りしたのです。この道を女人道といいます。
大門からの女人道は、たすけの地蔵堂の脇を通って東へ進むか、逆のコースだと弁天岳へと向かうことになります。
女人道へ
女人道へ

参考文献
『新・高野百景』山口文章著には「お助け地蔵」として、熊野辻の地蔵尊の由来が記載されています。
たすけの地蔵さま
 大門から南へと龍神道に入りますと、すぐさま女人道(にょにんみち)となり、この道を150メートルほど進むと、たすけの地蔵さまが見えてきます。たすけの地蔵尊へ
 近年、たすけの地蔵さまへお参りされる方々が増えています。町内の方々はもちろんのこと、全国各地から、お参りされる場合も少なくありません。
 高野山では、奥之院参道などをはじめとして、たくさんの仏さまや、お地蔵さまが路傍におまつりされています。そうした中、特にお参りが多いのが、たすけの地蔵さまです。
 たすけの地蔵さまについて、調べてみようと思いましたが、未だ、明確な資料には行き当たりません。その理由の一つとして、近世になって信仰されはじめた地蔵さまであることが考えられます。
 現在のお助け地蔵尊には、「助け地蔵尊の由来」との石碑があって、そこには、元は熊野辻の地蔵尊と呼ばれ、その後になって助けの地蔵尊と呼ばれるようになったことが識されています。
 ところが、熊野辻の地蔵尊説とは別の話もあります。あらたの清子氏が随筆として遺された『続高野春秋』には、たすけの地蔵さまについての一文が載せられています。その文中には、「今では誰もお地蔵さまの物語を知る人がいなくなった」といった意味のことが記されていますので、お助け地蔵尊話として語り継がれてきたものだったのかも知れませんし、また、そうではないのかも知れません。
 以下、そのあらすじを簡単にご紹介したいと思いますが、随筆『続高野春秋』は独特な味わいのある文体ですので、機会があれば、是非、ご一読して頂きたいと思います。
お助け地蔵尊
 毎日、お参りが絶えることのない、お助け地蔵尊
たすけの地蔵尊物語の要約
 そのむかし、高野山のお寺に住み込んで働いていた人がありました。名前は田助。高野山麓は有田郡保田村の出生といいますので、現在の清水町付近でしょうか。家は農家で、不幸にして妻と二人の子供に先立たれ、老いた母親を残して高野山へ登ってきたのだといいます。しかし、身を寄せるお寺とてなく、たまたま高野山の下、花坂の里で出会ったお坊さんに頼み込んで、その住職の寺で働くようになりました。
 田助が寺に入って数年が経った頃、暮六つの時刻になると、決まって寺を抜け出し、何処かへ出かけるようになりました。そうした行動が何ヶ月も続くものだから、住職も妙だと思いはじめます。何処へ出かけて、いったい何をしているのかと、寺の者たちも不思議に思っていました。
 そんなある日、住職が女人道を大門へと向かったおり、無人の小屋が目にとまりました。そこは、石仏を彫るための簡単な作業場のようです。それを見た住職は、直感的に、これは田助が彫っているのではないかと想います。
 数ヶ月して住職はそのことを田助に問いますと、自分が彫っていることを認めます。そして田助がいうには、三年ばかり前のお盆に里帰りしたおり、花園村梁瀬(やなぜ)で、腹痛に苦しんでいる男に遇ったといいます。その時、薬など持ち合わせていなかったので、ただ自分の信じるお地蔵さまの真言を一心に唱えて、患部をさすったところ、痛みが治まったというのです。
 さらには、毎年里へ帰る度に、子供や老人の病気を、お地蔵さまの真言で治すことができたのだそうです。村人たちは、田助の持つ不思議な力に、特別な信仰心のようなものをいだき始めたのでしょう。ところが田助自身は、病などを治すのは自分ではなく、実際はお地蔵さまが助けてくださっているのだといいます。皆が自分のことをありがたがるのは嬉しいことだが、私のような者を拝むのではなく、お地蔵さまを拝んでほしいと願いました。田助は、こうしたいきさつから、一心に石のお地蔵さまを彫っていたというのです。しかも、このお地蔵さまが彫り上がれば、自分は一生涯、里へは下りない、つまり、田助自身は病気を治す行為をしないと決心したようです。
 その後、お地蔵さまが完成し、住職によって開眼供養が行われました。住職自身もこのお地蔵さまを続けて拝みますと、体調が良くなって元気になったといいます。
 こうして「田助の(彫った)地蔵さま」が「助けの地蔵さま」と呼ばれるようになったのだそうです。
2006.7.23
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