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祓川弁天(はらいかわべんてん)現在の位置
山内寺院と諸堂


明治42年絵図
明治42年絵図

祓川弁天
 所在地:大門弁天公園内
現在の位置
大門から山内へと150メートルほど進みますと、左手に大門児童公園があります。その向かいは西南院です。現在、祓川弁天社は、この児童公園の山背にまつられています。
弁天社に伝わる銘文記録によりますと、明治28年(1895)12月6日、地区の人たちが参詣しやすいようにと、祓川の上流から現在の児童公園の地に移したことが分かります。この移した時点で、江戸時代から続いた寺院の管理から、大門地区居住者である講の守護神として信仰されていたことが判明します。
明治42年(1909)の絵図には、弁天社らしく池の中央に社が描かれています。しかし、昭和41年(1966)、この地に児童会館が建設されることになり、社の位置が変更されました。また同時に池や橋などの改築がおこなわれ、同年10月18日に遷座改修が完成しました。
さらに社は、昭和55年(1980)になって、同公園山背の中腹に再び移動され、現在に至っています。
現在祓川弁天は「西弁天講」との名前で維持管理され、毎年、10月17日に大祭が行われています。

明治28年、41年の遷宮札
左、明治28年遷宮札
右、明治41年修理札
写真は中本芳也氏提供。
明治28年(1895)修理札銘
仰當弁財天社者 源払川有鎮座 而/當(谷カ)西組守護神尊信焉然以所/遠隔地量合信徒参詣之便宜ト/明治二十八年十二月六日◆ 遷宮干此地矣
昭和11年修理札表
左、昭和11年修理札表、中、昭和33年札、右、昭和55年修理札(右端)
明治41年(1908)修理札銘
當辨財天者 去明治二十八年自払川遷座/院内堂屋敷而護堂以及大破 明治四/十壱年旧八月一日家根葺替 并 鳥居二/本建設本日上遷宮執行/遷宮導師関口慈暁 世話人中西松之助/仝田中亀吉弁天講員/家根屋榊田佐助 大工玉置勝三郎
昭和11年修理札裏
左、昭和11年修理札裏
写真は中本芳也氏提供。
昭和11年(1936)修理札裏銘
當辨天者 高野七辨天随一 而源祓川有鎮座 明治二十八年十二月六日遷座/此地其後以及大破 明治四十一年旧八月一日屋根替 並鳥居二本建設 而/上遷宮執行矣 然経歳茲二十有六 堂宇亦大破 則時辨天講元等/発願 該堂大修繕屋根替 而檜皮及用材自金剛峯寺得寄附/其他仰一般寄附 昭和十一年九月二十三日起工 同年十月三十日附帯工事/共一切竣成 同十一月一日上遷宮 執行矣 是亦令法久住之一策/乎爾云 昭和十一年丙子年西南院宣雄記之

注:「/」は改行箇所
2006.12.11

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