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高野山七弁天の各本尊を調べて見ますと、下の表のように宇賀弁財天が多いことがわかります。これらの本尊が、各弁天社の当初像であるかどうかは分かりませんが、現存している本尊を見る限り、江戸期をさかのぼる像は無いように思われます。
嶽弁天は弘法大師によって、天川弁天社より勧請されたものと伝えられています。このことは、天川弁天の本尊と嶽弁天の本尊とは同じ弁才天であることを意味しています。
現在の天川弁天社の本尊、弁才天像は、天正15年(1587)の銘がある八臂宇賀弁財天十五童子像だとされていますので、高野山七弁天の本尊に宇賀弁財天が多いのはこうした理由によるのかも知れません。
高野山七弁天の本尊(現在)
| 弁天社名 |
腕の数 |
本 尊 |
| 嶽弁天 |
− |
宇賀神像とする(未確認) |
| 祓川弁天 |
八臂 |
宇賀弁財天十五童子像 |
| 湯屋谷弁天 |
八臂 |
宇賀弁財天十五童子像 |
| 綱引弁天 |
− |
宇賀神像(女神) |
| 門出弁天 |
未調査 |
秘仏により未調査 |
尾先弁天
剣先弁天 |
未調査 |
未調査 |
| 二臂 |
弁財天像 |
| 丸山弁天 |
二臂 |
宇賀弁財天像 |
元禄4年(1961)の『青厳寺拾要集』には、社(やしろ)の寸法と本尊の寸法が一部ですが記録されていますので、参考に記載しておきたいと思います。
『青厳寺拾要集』元禄4年(1691)
| 弁天社名 |
敷地 |
社 |
本尊像高 |
| 祓川弁天社 |
− |
表行五尺四寸、裡行四尺四寸 |
四寸三分 |
| 湯屋谷弁天社 |
表行一間半裡行二間 |
表行四尺二寸、裡行四尺六寸 |
五寸一分 |
門出弁天?
五之室大師堂 |
− |
一尺二寸四方、高四尺一寸 |
− |
| 丸山弁天 |
− |
− |
本尊五寸七歩 |
| 十五童子三寸七分 |
弁才天の種々相
弁才天の姿には、腕の数が八臂・六臂・二臂像などがあって、それぞれの手には各種の持物があります。八臂像は『金光明経最勝王経』というお経に、各々弓・箭・刀・斧・長杵・鉄輪・羂索などの武器を持つことが説かれていますので、武神としての性格も有していることがわかります。日本では、奈良時代から弁才天に対する信仰が盛んになりはじめます。
二臂像は、『大日経』などの密教経典に妙音天として説かれ、その姿は胎蔵界曼荼羅中に描かれる琵琶を弾く姿の像が代表となります。これはインドにおいて音楽や弁舌、学問の神として信仰されたことによるとされます。
鎌倉時代以降になると、八臂の弁才天が宇賀神と習合し、福徳を授ける神として、その信仰が広がりました。鎌倉時代後期に成立した『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』という書物の中に「辨財天法秘決」というものがあって、そこには、弁才天には妙音弁才と宇賀弁財との両尊があると記しています。妙音弁才天は智恵を主とし、宇賀弁財天は福徳を主をつかさどり、その姿は白蛇を体として頂上に老翁の形があると記しています。
また、宇賀弁財天には、十五(十六)童子が描かれたり配されたりしている場合があります。日本の国でつくられた偽経、『最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』などに、十五童子は弁才天の手足となって働く役目があることが説かれるようになって、盛んに取り入れられるようになりました。
宇賀弁財天の像容は、『金光明経最勝王経』に説く八臂像を基本として、稲荷神の象徴的な持ち物である鍵と宝珠に替えるなどの変化をつけ、頭頂には、頭部が老人で蛇身の宇賀神を載せて財福神としていることが特徴といえます。十五童子は鍵、稲、蚕などの持ち物をもって配置されます。
現在の高野山七弁天の本尊は、中世以降の信仰から生まれた宇賀弁財天が基本となっています。こうした中、先ず注目されるのは、剣先弁天の本尊です。剣先弁天をまつる蓮花院には、「剣先弁財天」と記された本尊の姿を写した紙札があります。そこには二臂像で、右手に宝珠、左手に太鼓のようなものを持ち、肩からは忍者のように剣を担げている姿が描かれています(写真左)。明らかに宇賀弁財天とは異なる姿であることがわかります。
また、同じ二臂像でも丸山弁天像は、手に剣、左手に宝珠を持ち、頭頂には鳥居と宇賀神をのせています。この姿は『渓嵐拾葉集』に記されている持ち物と同じであることがわかり、頭の鳥居は稲荷神、すなわち荼吉尼天との接点も有する弁財天像ということになります。
さらに嶽弁天、綱引弁天社のご神体は、頭部が女人で身体が蛇である宇賀神です(嶽弁天の場合は未確認)。偽経『仏説即身貧転福徳円満宇賀神将菩薩白蛇示現三日成就経』には、宇賀神をまつると貧者には福を与え、その宝は雨のように降り注ぎ、しかも僅か三日で福が得られて成就すると説かれています。同じ弁才天でも、特に宇賀神の御利益が取り上げられて、まつられていることがわかります。
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