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伽藍 蓮 池 (はすいけ)
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伽藍名所旧跡



蓮池
蓮池

蓮池と太鼓橋
蓮池と太鼓橋

 伽藍の南に「蓮池」と呼ばれる池があります。現在、この蓮池には一本の蓮もありません。つまり蓮のない蓮池なのです。数年前に、これでは蓮池とは呼べないということで、蓮を植える事業が行われました。その後数年は、とても綺麗な花を見せてくれていたのですが、年が経つにつれ元気がなくなって、とうとう全滅していまいました。現状では蓮の育ちにくい水深や環境であるようです。しかし、この池、どうも昔から蓮が自生していたものではなさそうです。
 蓮池の歴史
 現在、蓮池の中央には小島があって、そこには善女龍王を祀る社(やしろ)があります。この社は明和8年(1771)、干ばつを憂いだ瑞相院(現存しません)の僧・慈光によって建立されたと伝えられています。つまり、この頃から池自体も整備されるようになり、その折り、蓮などが植えられた可能性も考えられます。また「蓮池」の名称も江戸時代の中頃には「金堂池」と呼ばれていた記録もありましたので、元来、「蓮池」とは呼ばれていなかったことがわかります。
 『紀伊続風土記』(天保10年完成)には古い記録を引いて、弘安年中(1278〜1287)、勧学院(池の東側)を建立する際に、この周辺の岡を削って埋め立て、その際、一部を池として残したこと、さらに寛永7年(1630)になって穀屋という建物が建っていた土地を利用して方形(四角)の池にしたことなどが記されています。
 それでは以下に絵図による蓮池の変遷を見ていきたいと思いますが、まず昭和初期頃の蓮池の状況は下の写真からうかがうことができます。当時はまさに「蓮池」と呼ぶにふさわしい池であったことがわかります。
 現在の蓮池

昭和40年(1965)3月、高野山開創1150年記念事業の一環として、蓮池とその周辺整備が完成しました。その折り、丹塗の太鼓橋へと変更され、総監督に造園家、重森三玲氏があたりました。

 絵図で見る蓮池の歴史

2005.5.23

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