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 伽藍 1.大塔の鐘(だいとうのかね)
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伽藍諸堂


鐘楼堂
鐘楼堂
鐘楼堂と大塔の鐘
鐘楼堂と大塔の鐘
(高野四郎)

鐘楼堂と大塔の鐘(高野四郎)
大塔の鐘(高野四郎)
口径179.5cm
全長251.0cm


以前の鐘楼堂
写真は狩野桂一氏


 鐘の名称 (大塔の鐘・高野四郎・高野二郎)
 日本三大名鐘のひとつとして紹介されることのある伽藍の大梵鐘(ぼんしょう)は、通称「大塔の鐘・高野二郎・高野四郎」などとも呼ばれています。こうした名称がいつの頃から使われはじめたのかは明確ではありませんが、現在の梵鐘は天文16年(1547)8月25日に鋳造(改鋳)された巨鐘です。これ以降、各時代を通じて日本屈指の梵鐘となり、時に応じて別称が付けられたことが考えられます。
 大塔の鐘
 通常、「大塔の鐘」として紹介される場合が多いようです。根本大塔の前にあることからこうした名前がつけられたと思われますが、これもまた正式な名称ではないようです。室町時代の記録では、「金堂大鐘」「金剛峯寺本堂の鐘」などとも記されており、また単に「鐘楼堂」とする場合も多いようです。
 高野四郎
 通称として「高野四郎」と呼ばれています。明治期の参詣案内書などには、既に「高野四郎」の名が別称としても紹介されていますので、遅くとも明治期までさかのぼることができます。
 また一説に、唐から運ぶのに海中に沈んだという巨鐘を「海に太郎」と呼び、以下「奈良二郎」、「吉野三郎」、「高野四郎」と呼ばれたとも伝えられています。
 高野の二郎
 「高野四郎」と呼ばれる以前は「高野の二郎」と呼ばれていたといいます。この説は、典拠は不明ながらも梵鐘研究の大成者といわれる坪井良平氏によって紹介されています。「南都の太郎」と呼ばれた東大寺の巨鐘を一番とし、二番に「高野の二郎」、三番目には「吉野の三郎」として吉野廃世尊寺(金峯山寺)の巨鐘を充てます。ついでながら山形県出羽神社の梵鐘を「出羽の四郎」と名付け、これを日本の「四大鐘」といったようです。しかし実際の寸法からすると、出羽四郎の方が吉野三郎より大きいことから、三大名鐘として名付けられた時期には機内の有力寺院の梵鐘に限定されていたことも考えられます。
 こうした順位は釣り鐘の大きさ、主に口径の寸法順に名付けられているようで、大塔の鐘の場合、当時、日本で二番目の大きさであったことから「二郎」とされ、後世、二つ下がって四番目と認知されたことにより「四郎」と呼ばれるようになったと考えられます。但し大塔の鐘を「高野四郎」とした場合、太郎、二郎、三郎をいずれの梵鐘にあてはめるのかは明確にはされていません。
 そこで、現在わかる範囲で著名な梵鐘(主に国指定品)を口径順に並べてみますと次の表のようになります。

寺院名 別名 口径cm 総高cm 時代
知恩院   280.0
333.0 江戸時代
東大寺 南都の太郎 276.6 386.0 奈良時代
方広寺   226.8 412.0 江戸初期
金剛峯寺
大塔の鐘・
高野の二郎・四郎
179.5 251.0 室町時代
出羽神社 出羽の四郎 168.0 285.5 鎌倉時代
東本願寺   156.0 256.0 室町時代
円覚寺   142.4 259.1 鎌倉時代
園城寺 音の園城寺鐘 133.3 197.3 奈良時代
薬師   131.5 198.9 奈良時代
建長寺   124.5 207.3 鎌倉時代
清水寺   124.2 195.2 室町時代
金峯山寺
廃世尊寺)
吉野の三郎 124.0 160.0 平安時代
平等院 姿の平等院鐘 123.6 199.1 平安時代
神護寺 銘文の神護寺鐘 80.3 147.6 平安時代
これらの寸法については下記を参照しました。
但し、方広寺の梵鐘の寸法については各種資料で一定していませんので、ここでは2.を底本としました。
1.『重要文化財24 工芸品』毎日新聞社
2.『新指定重要文化財4』毎日新聞社 
3.『日本の美術12 No.355梵鐘』至文堂

 上記の表からわかることは、江戸時代以前に鋳造された梵鐘を除外すると大塔の鐘は東大寺に次ぐ二番目となり、まさに「高野二郎」と名付けられた理由が判明します。これに江戸時代以降の知恩院、方広寺の梵鐘を加えると大塔の鐘は四番目となり、現在の「高野四郎」との名称となることが明かとなります。
 現在も全国の寺院にはいずれ劣らぬ巨鐘が誕生しつつ、今後もさらに巨大な大梵鐘が鋳造されることもあるでしょう。後世には、高野四郎が五郎・六郎などと名称が変化する可能性もあるのかも知れません。
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2006.1.21
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