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その昔、高野山にはお坊さんの運動場があったそうです。名前は「蹴鞠場(けまりじょう)」。今ではこの伝承を知る人も少なく、その名称さえ消えてなくなろうとしています。
運動場といっても現在のような広いものではなくて、せいぜい十数メートル四方の狭い場所でした。その運動場での主な運動種目は「蹴鞠(しゅうきく)」でした。蹴鞠とは「けまり」とも読みます。革で造った鞠(まり)を一定の高さで蹴り上げて、その回数を競う競技です。
高野山でも鎌倉時代の一時期に流行ったらしく、山内寺院間の路地のような場所で盛んに行われていたようです。しかし、修学や修行の妨げとなるということで、全面禁止となったことが『紀伊続風土記』や『紀伊名所図会』などに紹介されています。
蹴鞠場と呼ばれたところは、山内、しかも霊宝館から意外と近くにありました。霊宝館の南方面は谷間となっていて、そこを下っていきますと、むかし石切場であったといわれる東からの谷があります。その位置から東面するの山を斜めに登って行くと蹴鞠場があります(下の写真)。
蹴鞠場は、東方からせまる尾根の先端が滑るように下りているような場所にあり、さほど広くはないものの確かに平地となっています。日当たりも良く、現在はススキの原となっていました。
なるほど、こうした場所なら、蹴鞠が人目を避けて続けられていたとしても不思議ではありませんが、本当に蹴鞠が行われていかたどうかは、まったく分かりません。

蹴鞠場跡 |