

橋本市向副

玉川林道顕彰碑
昭和25年4月建立

狭い林道

丹生川に沿って走ります

川合橋

玉川林道

摩尼(マニ)の里

弘法大師 御衣干岩

清川橋付近

玉川林道の高野山側 |
玉川林道について
橋本市から高野山へと向う自動車道路の一つに、国道371号線があります。玉川峡とも呼ばれる丹生川(にうがわ)の景勝沿いを走る道路ですが、現在でも道幅が狭い箇所も少なくありません。
国道371号線、通称「玉川林道」は、橋本市からですと紀ノ川を渡り、橋本市向副から登ることとなります。途中「やどり青少年旅行村」を過ぎ、さらに進みますと河合橋にでます。河合橋で右折し清川沿いに登ると杖ガ藪地区に入り、続いて摩尼の里(高野町南)へと向かい、弘法大師がお衣を干されたという岩を右奥に見て進むと、高野山内へと至ります。
昭和の初め頃、丹生川沿いに、トラックによる木材運搬や周辺地域への物資輸送を目的とする道路「玉川林道」を建設しようとする動きがおこりました。発起人は地元市町村の有志や森林組合などで、道路開発事業には国費や県費の補助がついたものの、地元負担金も相当な額が必要だったようです。そんな折り、当時、紀ノ川周辺で事業していた兵庫県の採石業者がこの負担金を肩代わりすることとなり、その代償として玉川林道の使用権を採石業者に委譲することになりました。
昭和7(1932)年10月から工事が始まり、昭和9年(1934)7月、難工事の末、高野山までの約20キロメートル以上に及ぶ玉川林道が開通し、さっそく林道への入り口である橋本市向副(学文路賢堂)にトラック5台、橋本駅前にタクシー(フォード)を配備し、木材や荷物の運搬、高野参詣者送迎用の完全専用道路として利用されました。乗り合い自動車の運賃は、下り80銭、上り1円だったそうです。
しかし玉川林道は、現在でも降雨時には崩落などの危険も少なくありません。開通当初は頻繁に道路が決壊したことと思われます。また岩肌を削るようにして開設された道は、現在のように舗装されていないとタイヤがズタズタに切れたそうで、何かと経費もかかったようです。
昭和12年(1937)の秋になると、玉川林道の使用権は早くも南海電鉄に譲渡され、その後、学文路側と高野山側の二カ所で通行料金を徴収して、一般車両の通行が許可されることとなりました。これ以降、モータリゼーションの波は高野山へも押し寄せていくことになります。
昭和31年(1956)7月20日、南海電鉄が玉川林道(橋本〜高野山)に路線バスを走らせる認可をとりました。しかし当初、高野山のバス乗り入れ反対運動にあって、実際の開業は同年の11月18日となりました。一日2往復運行で、片道の所要時間2時間30分でした。
昭和42年(1967)2月に県道となり通行料は無料化され、昭和50年(1975)4月、国道に昇格し、現在に至っています。

玉川林道の開通式(昭和9年)かと思われる写真です。
場所は川合橋あたりでしょうか。下名迫氏提供写真。

現在の川合橋付近。 |