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高野山参詣自動車会社 大正8年〜
高野山近代交通の歴史


4〜5人乗りの乗り合自動車4〜5人乗りの乗り合い自動車が専用道路を走る姿です。現在の自動車道の様子現在の自動車道の様子です。現在の自動車道の様子です高野山参詣自動車会社の自動車専用道路は、新高野街道の上を走っています。
現在舗装されている箇所が大半ですが、所々、未舗装部分もあります。

 高野山への参詣道の一部を走る初期乗り合い自動車は、大正8年(1919)4月15日、高野山登山自動車株式会社により、高野口駅から椎出(九度山町)までの区間を、3台の自動車で運行したのが始まりとされています。椎出までというのは、高野山までの電車が未だ開通しておらず、椎出から神谷を通り山上に向けて新高野街道が徒歩道(県道)として整備されていたからなのです。
 大正14年(1925)3月、高野山登山自動車(株)は高野山参詣自動車株式会社に合併され、続く椎出から極楽橋までの区間に新たに自動車専用道路を設け、参詣者を乗せて走りました。
 乗り合い自動車とはいえ現在のようなバスではなく、写真のような自動車で、5〜6人が乗れたようです。最盛期には、30余台の自動車が運行されていたといいます。
 参詣自動車は、大正14年10月を目処して山上の女人堂までの延長を目指していたようですが、結果的には開通しなかったことがわかります。それどころか、昭和4年、高野登山電車(現、南海電鉄)が高野下駅から極楽橋まで開通することになって、参詣自動車は営業を中止するに至りました。
 こうした乗り合い自動車は、他にも昭和9年(1934)の高野山駅から大門までの運行があり、さらに同年、橋本から高野山を結ぶ玉川林道が開通し、高野山玉川自動車株式会社によって、タクシーなどが運行したことが知られています。

六大新報の記事から
 『六大新報』No.1104  大正14年3月1日号
「高野山麓の椎出から山上に至る高野参詣自動車の専用道路工事は山腹神谷まで竣工し、過日から三十余輌の自動車で運転を開始しているが、極楽橋までは六月中、山上女人堂までは十月一杯で開通の予定であると。この結果、大阪からの高野登山時間は非常に短縮された。即ち大阪九度山間は南海電車一時間五十分、九度山と神谷間自動車二十九分、神谷山上徒歩又は篭で片道約三時間で労なしに大阪からの日帰り参詣が楽々とできるわけである。」
高野下駅の高野山参詣自動車会社
高野下駅で営業していた当時の高野山参詣自動車会社。右の看板には「高野山極楽橋行乗合自動車場」とあります。また車庫の上には、街道の絵が掲げられているようです。
極楽橋付近の停留場
上の写真は極楽橋付近です。高野山参詣自動車の発着場が写っています。そこには3台の車が停まっているのがわかります。車庫の向こうには、極楽橋が見えます。
高野山参詣自動車案内書No.1

高野山参詣自動車案内書No.2
高野山参詣自動車案内書です。2種類が知られています。
高野山参詣自動車案内書
高野山参詣自動車案内書
  • 資本金:60万円
  • 車輌数:高級車30台
  • 輸送力:1時間300人以上
  • 専用道路:三間幅延長五里
  • 所用時間:25分
2004.7.3
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