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高野山にも、スキー場があるのをご存じでしょうか?。昭和の初め頃の高野山では、積雪が多いときには85センチもあったといわれています。高野山スキー場は、昭和6年(1931)に、金剛峯寺や山内寺院の後援の下、高野山睦会(町民有志)によって、開設されました。
昭和9年(1934)当時の資料を見ますと、高野山スキー場は、「大阪より最も便利な近畿唯一」と宣伝されていました。ジャンプ台あり、回遊コースあり、ヒュッテはゲレンデの頂部にあって、貸スキーの設備もあったようです。また第2ヒュッテには婦人用の専用室もあり、食堂、売店もあったと記録されています。宿泊に関しては、高野山内の寺院が乾燥室を設備して、一泊三食付きで1円50銭となっています。
一方、スキー場が開かれたことによって、近隣の奈良県野迫川村では、「アカギ」「イタヤ」と名付けられた特性スキー板を製造する会社ができました。
昭和8年(1933)2月19日には、約2000人のスキーヤーが利用したとされ、その後も毎年のようにスキー大会が開かれ、関西学校スキークラブ員などが競技を行ないました。しかし、時代と共に、スキー場は徐々に軍事教練場所や畑として利用されていくことになります。畑として開墾するには、土に埋まっている大木の根っこを取り除かなければならず、畑にするにもずいぶんと苦労がありましたが、それに見合うだけの作物は採れなかったようです。
戦後も長らくはスキー場として再開されないままとなっていましたが、昭和51年(1976)、町によって再びスキー場としてよみがえりました。
現在では降雪量も少なくなり、現実的にスキーができる日は限られていますし、リフトもありません。それでも毎年、積もった雪を目当てに、楽しくソリで遊ぶ親子の姿が見受けられます。
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