
1.神谷地区の集会所前に立つ石造の道標です。大正13年(1924)に建立したことが刻まれています。建てたのは名古屋中区の方々のようです。今回は神谷地区から椎出に向けて出発です。 |

2.神谷地区の新旧街道合流地点です。直進は「京街道(大阪街道)」、「新高野街道(長坂街道)」へは左折となります。 |

3.右の建物は「花のや」と呼ばれた旅館でした。当時は三味線の音色も聞こえた宿場でした。年中旅芸人がやってきて芝居、浪花節などを興行していたそうです。 |

4.しばらく進みますと、分岐点にでます。ここから「九度山町」となります。直進すると大正14年(1925)開通の高野参詣自動車会社による乗り合い自動車専用道路の旧道となります。 |

5.左の写真で、「新高野街道」へは右へと進みます。 |
6.右手に石の道標が建っています。「至高野山4800メートル 壹里八・・・」や「至椎出4200メートル 一里二町・・」などと記されています。 |

7.この先に見晴らしが良い場所があり、当時は茶店がありました。店には「黒石の仇討」の額絵が掲げられていたといいます。 |

8.しばらくは歩きやすい道でしたが、倒木や草におおわれてきます。 |

9.小さな谷ごとに道が寸断され、木々が倒れて道をふさいでいます。
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10.このあたりの道は、地形的に道幅がとれないため、谷側に木材で柱を組んで、橋のような形式を取っていたそうです。 |

11.橋の下には、ハンセン病を患い、誤った知識による偏見などで住む家を追われた方々が相当数おられたそうです。 |

12.橋桁の残骸。高野山までの街道筋では、大正12年(1923)頃まで、そうした方々が生活しておられたようです。 |
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2004.12.12 |