二面の仇討ちの図 高野町神谷地区には、「高野の仇討ちの図」と呼ばれる二面の額絵が伝わっています(写真甲乙)。甲面には、大きな岩に身を潜めて一行を待ち伏せをする状況が描かれ、一方の乙面には、両者入り乱れて戦う場面が描かれています。 本図は明治4年(1871)2月30日(旧暦)、神谷で実際に起こった仇討ちの様子を描いているもので、仇討ち自体は、「高野の仇討ち」「黒石の讐討ち」などと呼ばれています。 この事件をきっかけとして、明治6年(1873)に復讐(仇討)禁止令が発布されましたので、事実上、我が国最後の仇討ちとして、その名を留めることとなりました。 BACK|NEXT