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極楽橋(不動橋・板橋とも) (ごくらくばし)
街道沿いの名所


江戸時代の不動橋(極楽橋)
江戸時代の不動橋(極楽橋)。四寸岩より不動橋、不動坂を描いています。高野山絵図より

 南海電車高野線、極楽橋駅の名前の由来は、不動谷川に架かる極楽橋に由来するものと思われます。ところが極楽橋という名前は、明治以降に名付けられたものらしく、それ以前は「不動橋」といわれていました。
 昭和5年(1928)、極楽橋駅から山上駅までのケーブルカーが開通するまでは、極楽橋を渡り不動坂を歩いて登っていました。現在では余り利用されなくなってしまった極楽橋と不動坂ですが、それでも週末ともなりますと、ハイカーの方々を見かけることも少なくありません。不動坂周辺の山々は、秋ともなると美しい紅葉で彩られることで知られています。
 ここでは、明治期から昭和30年頃までの極楽橋の様子を写真で見てみることにしました。

現在の極楽橋
現在の極楽橋
南海極楽橋駅付近の原初風景
大正〜昭和初期の極楽橋 極楽橋駅が出来るまでの風景
現在の極楽橋駅になる以前の風景です。左の写真も。
現在の極楽橋駅方面
左の写真と同じアングルで、極楽楽橋駅を見ています。
昭和30年代の極楽橋駅方面 極楽橋駅。上の写真と同じアングルで撮影されています。二階建ての白っぽい建物は改札口で、上の階は食堂だったようです。昭和34年(1959)頃に取り壊されています。
明治時代の極楽橋(不動橋)
明治時代の極楽橋
明治期には不動橋・板橋とも呼ばれていました。橋のたもとには銅像(現在は石造)の地蔵尊がおまつりされています。橋の位置ですが、現在のケーブルカーの駅舎付近であったといわれています。「紀伊名所図絵」より複写
明治時代の極楽橋
同じく明治期の橋です。欄干には「不動橋」と書かれているようです。橋の向こう側には建物が写っています。「極楽茶屋」と呼ばれる茶亭であった可能性があります(紀伊名所図絵)「高野山霊蹟写真」より複写
大正時代の極楽橋
大正時代の極楽橋
現在の線路の方から不動坂方面に向けて撮影されています。この時期にも茶亭があったらしく、向こう岸左手にそれらしい建物が写っています。

拡大写真
左の写真の橋を渡る人物を拡大してみました。中央の男性の表情は編み笠でよく分かりませんが、両脇の女性はとてもにこやかなのが印象的です。この時期の男女の旅姿も見逃せません。
不動坂から極楽橋
めずらしいカットの写真です。不動坂を下った極楽橋の手前から撮影されています。左手には「橋の茶屋」の建物が写っています。大正12年以前の撮影になるものです。
大正時代の極楽橋
大正4年(1915)に架け替えられた橋です。明治期の極楽橋は小さなものだったようですが、大正2年にこの街道が県道に昇格したことによって、随分大きなアーチ型の橋に生まれ変わりました。橋の位置は現在と同じです。
大正時代の極楽橋
不動坂方面からの写真です。向こう岸の山林が手入れされつつありますので、極楽橋駅の工事が行われる直前の可能性があります。
橋の左下には小屋が建てられています。大正時代も終わり頃の撮影かと思われます。
昭和時代の極楽橋
極楽橋と橋の茶屋
昭和29年(1954)に架け替えられて間もない頃の極楽橋です。
橋の向こうには「橋の茶屋」と呼ばれた食堂兼茶店があり、昭和37年頃まで建っていたようです。

極楽橋のたもとでの記念撮影です。
昭和20年代後半から30年代かと思われます。(写っているのは橋の茶屋のご子息のようです)
貴賓車両
極楽橋の向こうには南海電車特別貴賓車両(奥側)が写っています。
「橋の茶屋」より撮影されています。
南海電鉄(株)掲載許可済
2004.10.3

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