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不動坂とは
不動坂とは昔の高野七口(街道)の内の一つで、京都や大阪方面からの参詣街道として大変な賑わいを見せたことで知られています。現在、不動坂を歩くのには、南海高野線極楽橋駅で下車し、不動谷川に架かる朱塗りの極楽橋を渡って、女人堂までの約2.5qの道のりとなります。
大正期の不動坂拡張工事
大正2年(1913)に県道となった不動坂は、大正4年(1915)の高野山開創千百年記念大法会に合わせて「新高野街道」の一部として大改修が施されました。高野口から椎出(高野下)〜長坂〜神谷〜不動坂〜女人堂へと至る新高野街道は、この時、道路の幅員を最大2.7メートルにまで拡張し、不動坂のルートもその大半が変更されました。
工事による不動坂の変更
大正時代の和歌山県による不動坂ルート変更改修工事によって、旧・不動坂の難所であった四十七曲りの通称「いろは坂」は通らず、新たに一部国有林の大杉などを伐採しつつ、現在のような随分と緩やかな不動坂となりました。こうしたルート変更によって、登山者の感覚はどうように変化したのか、大正時代の『高野山時報』の記事から拾ってみました。
大正4年第40号
四十七曲りの不動坂の苦難は高野登山の名物だったが、今はその面影も残っていない。
次に不動坂の四十七曲がある。コレは今度架換へられた極楽橋を超して一丁の所にあつたが四十七曲も新道に改められ新装の児(ちご)が瀧橋が迎えて居る(「高野へ登るには」より)。
大正4年第41号
不動坂は改修されて険峻の思い出がのこるのみで、四十七曲りの旧不動坂に対して今は二曲りほどの緩勾配である(要約)。
さらに昔の不動坂とちがって、今はダンダラ坂となって旧態を留めないとも記しています(大正4年第40号)。以上のように新不動坂は、四十七曲りの「いろは坂」を通らず、緩やかな不動坂に生まれ代わったことがわかります。

新旧不動坂ルート比較
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