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 十津川索道(とつかわさくどう) 
  愛宕谷(高野山)〜野迫川間
    (1913?〜1925?)
森林軌道・山林・索道


林相図
高野山国有林「林相図」という地図には池津川まで十津川索道が延びていたことを示しています。

 十津川索道について
 十津川索道は、高野山から奈良県の野迫川村方面へと延びていた索道です。この索道は営業期間が比較的短かかったことにより、実際に記憶されている方も少なく、余り情報を得ることはできていません。
 十津川索道との名前がついていますが、実際には奈良県十津川村まではつながっていませんでした。大正15年発行の「五万分一地形図和歌山七号高野山」には野迫川村上垣内地区まで索道が引かれています。さらに昭和初期の「林相図」という山林地図によりますと、野迫川村の上垣内を中継して池津川地区までつながっていたことが明記されています。しかし実際に池津川までつながっていたかどうかは、今後、もう少し調べてみようと思います。
 十津川索道の営業期間については、下の一覧表のように諸説があり明確ではありません。索道の施設は、大正2年(1913)玉村工務所が受注したもので玉村式単線索道とも呼ばれ、完成は大正3年頃であるという説があります。また大正6年(1917)12月、十津川索道株式会社によって運営されたという記録などもあります。それによると線路長は6.6キロメートルでした。
 野迫川村では高野豆腐の製造が大正〜昭和期の一時期に大流行しました。主にこうした高野豆腐の材料である大豆を野迫川村に運び、出来上がった高野豆腐を出荷するのに利用されていたようです。
 ところが大正10年(1921)、現在の橋本市から野迫川村に紀和索道が引かれたことによって、十津川索道は運転が中止されたようで、その時期を大正14年(1925)としている記録もあります。

十津川索道営業年月日一覧
開業 終業 典拠
大正2〜3年頃 大正11年か 『日本近代の架空索道』
大正6年12月 大正14年 『高野山の研究』
大正7年 昭和の初め 『わたしたちの高野町』
昭和10年の高野山林絵図
昭和10年の高野山林絵図
2007.11.4更新 

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