よもやま記 > 高野山森林軌道の歴史と概要
                                        

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木馬(きんま)
木馬(キンマ)

高野営林署によるトロリーでの木材運搬風景
高野営林署によるトロリーでの木材運搬風景


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森林軌道・山林・索道
1.高野営林署による木材運搬

 金剛峯寺所有の高野山周辺山林が明治6年(1873)に国有林になったことによって、それまで厳重に保護してきた大量の天然林などが切り出されることになりました。 
 従来、切り出した木材を運搬するには、木馬(キンマ)修羅(シュラ)といった方法で行われていました。こうした木馬をさらに効率よく利用するため、明治25年(1892)4月頃になって、椎出〜西郷〜神谷の区間に新たな木馬道が開設されました。この道は、後に長坂街道とも呼ばれ新高野街道として発展することになります。
 ところが木馬というのは熟練度を必用とし、時には死傷者を出すこともあり、しかも大量の木材を運ぶには限界があります。そこで軌道の敷設によるトロッコ運搬となるわけですが、では実際に九度山〜高野線のトロッコ軌道が敷設されたのはいつ頃かということになります。
 記録としては、『高野山国有林』(昭和2年高野営林署)によりますと、明治42年(1909)の起工で、大正2年(1913)7月(大正元年度末とも)完成とあります。ところが『高野山国有林の概要』(昭和35年高野営林署)には明治38年(1905)の起工で、明治42年(1909)に完成となっています。さらに『林鉄の軌跡』(平成8年ないねん出版)には明治37(1904)年とあり、微妙に開始年代が一致していません。

軌道敷設記録
起工 完成 典拠
明治42年 大正2年 『高野山国有林』
明治38年 明治42年 『高野山国有林の概要』
『和歌山県木材史』年表
  明治37 『林鉄の軌跡』
保管林制度
明治6年に定められた上地令によって、高野山が独自で所有していた周辺山林2889ヘクタールが召し上げられました。高野山の経済的基盤でもあった山林経営は、ここに終止符が打たれ、大打撃を受けることとなります。
その後、高野山側は国に対して山林の無償払い下げ運動を展開します。
大正7年(1918)、山林所有者にその保護と造林を任せる「保管林制度」が認められました。保管林制度は収入の三分の一を国庫に収めるものです。

右の写真は、保管林制度の制定によって進められた斫伐作業だったようで、金剛峯寺関係者の姿も写っているのがわかります
第一次入山式は大正8年5月4日だったようですので、写真の入山式は第二次なのかも知れません。

大正9年 斫伐作業入山式記念

大正9年(1920)5月16日、営林署による斫伐作業入山式の記念写真
大正9年(1920)5月16日、小林区署(営林署)による高野山斫伐作業入山式の記念写真です。
後方に写っている鳥居は、入山に際して祀られた「山の神」です。場所は山内十八区で挙行された入山式と記録されています。十八区とは現在の龍神スカイライン大滝地区の手前付近でした。金剛峯寺からは執行長である湯崎弘雄師、山林係長谷川覚明師、山林局長、高野分署長などが参列し、余興として大花角力(すもう)の催しがありました。
軌道上での斫伐作業記念写真
軌道上での斫伐作業記念写真(昭和初期頃か)。写真の場所は38林班、国道371号線龍神街道沿高野相浦水源地で、水源地となる以前は一つの集落となっていました。

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2004.3.20

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