よもやま記 > 高野山森林軌道の歴史と概要
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |||||||||||||||||
![]() ![]() ![]() |
![]() |
||||||||||||||||
| BACK|NEXT | |||||||||||||||||
| 森林軌道・山林・索道 |
|||||||||||||||||
| 1.高野営林署による木材運搬
金剛峯寺所有の高野山周辺山林が明治6年(1873)に国有林になったことによって、それまで厳重に保護してきた大量の天然林などが切り出されることになりました。
|
|||||||||||||||||
| 保管林制度 明治6年に定められた上地令によって、高野山が独自で所有していた周辺山林2889ヘクタールが召し上げられました。高野山の経済的基盤でもあった山林経営は、ここに終止符が打たれ、大打撃を受けることとなります。 その後、高野山側は国に対して山林の無償払い下げ運動を展開します。 大正7年(1918)、山林所有者にその保護と造林を任せる「保管林制度」が認められました。保管林制度は収入の三分の一を国庫に収めるものです。 右の写真は、保管林制度の制定によって進められた斫伐作業だったようで、金剛峯寺関係者の姿も写っているのがわかります。第一次入山式は大正8年5月4日だったようですので、写真の入山式は第二次なのかも知れません。 |
大正9年 斫伐作業入山式記念 ![]() 後方に写っている鳥居は、入山に際して祀られた「山の神」です。場所は山内十八区で挙行された入山式と記録されています。十八区とは現在の龍神スカイライン大滝地区の手前付近でした。金剛峯寺からは執行長である湯崎弘雄師、山林係長谷川覚明師、山林局長、高野分署長などが参列し、余興として大花角力(すもう)の催しがありました。 |
||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||