

「女人堂」の裏手には、写真の様に大きなコンクリート製の構造遺物があります。

所々に凹面が残っていますので、ロープウェーの構造体があったのでしょうか。 |
高野山へのロープウエー計画 (高野登山索道)
昭和の初め頃の話です。極楽橋〜高野山を結ぶケーブルカーとは別に、高野登山索道会社により計画されたロープウェーがありました。当時は「高野登山索道」と呼ばれていました。最終的には高野口から高野山上までつなげる計画だったようですが、とりあえず、昭和4年(1929)には極楽橋〜女人堂間の架設工事に着手しています。この索道は物資運搬用ではなくて、あくまでも旅客索道を目指したものでした。
今も女人堂裏にはロープウェー用と思われるコンクリート製構造遺物がありますし、極楽橋側にも地元で屋敷と呼ばれている発着場跡地が残されています。また下の写真でもわかるように、実際に極楽橋側には発着場が建設されていたことがわかります。
その仕様は、自動循環式旅客索道と呼ばれ、総延長1715メートル、高低差320メートル、支柱数12基、定員13名の予定でした。
実際に高野登山索道としてリーフレットも印刷されており、「7月開通」とあることから昭和4〜5年7月の運転開始を目指していたことがわかります。しかし、当時は乗降口が女人堂では山内に近すぎるとの反対意見が出されたり、同時期に鋼索鉄道(ケーブルカー)もできるといったことも重なって、資金問題と技術不足とを理由に未完成におわりました。
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