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高野山 霊宝館(れいほうかん)

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収蔵品紹介

仏に関する基礎知識:八大童子(はちだいどうじ)

聖無動尊一字出生八大童子秘要法品八大童子とは不動明王に使える童子で(眷属・脇侍)、中国で撰述された「聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」(略して「秘要法品」)という経軌をよりどころとしています。

その「秘要法品」(写真右)には八大童子(どうじ)が不動明王より出生し、仏の智恵である四智と、金剛界大日如来の周りを取り囲む四波羅蜜(しはらみつ)菩薩の役割を司ることが説かれます。さらに八大童子の真言・像法(姿)・供養法についても記されています。


不動明王図像 宝寿院

矜羯羅(こんがら)童子
「秘要法品」によると15歳の童子(どうじ)のようであり、頭には蓮華の冠を戴き、体は白く合掌した手には独鈷杵を持ち、天衣と袈裟で厳飾するとされます。
またその性格は小心者で従順であるとされ、童子像の穏やかで親近感のある表情にそれがあらわされているように思われます。

不動明王図像2 宝寿院

制多迦(せいたか)童子
「秘要法品」にはその姿は肉身が紅蓮華(ぐれんげ)のような赤色で、頭髪を五つに束ねる五髻(けい)とし、左手に縛日羅(ばざら)(金剛杵)を、右手に金剛棒を持つとされます。また「悪性の者」であると説かれますが、これは制多伽童子が不動明王の真の心を知らない衆生に対して忿怒の心を込めて接するとされることと関係があるのかもしれません。しかし童子像は微塵も「悪性」を感じさせることはなく、颯爽として非常に理知的な印象を受けます。
※宝寿院制多伽童子の名称を「秘要法品」に基づいて表記しますと制多の「多」を「托」の左が手偏ではな口偏とするのですが、便宜上、童子像の指定名称「制多伽」を用います。

矜羯羅(こんがら)・制多伽童子は不動明王の使者の二童子として最もポピュラーといえます。高野山の八大童子像の内の矜羯羅・制多伽童子像は、運慶の作風が最もよくあらわれているとされます。また「運慶作の八大童子像」といわれますが、運慶一人で全て制作した訳ではなく、運慶監修の下、複数の仏師によって造られたと考えられています。


不動明王図像3 宝寿院

恵光(えこう)童子
「秘要法品」には天冠を戴き、体は黄白色で右手に金剛杵、左手に月輪(がちりん)を安(あん)じた蓮華を持つ、とあります。また、少し忿怒の表情を示すとあり、童子像はこれらの特徴を正確に表現しています。他の童子に比べて目つきが鋭いように感じるのは、玉眼(ぎょくがん)の表現が他と異なっているためでしょう。忿怒相をおさえ気味に表現するのに効果的であるといえます。

不動明王図像4 宝寿院

清浄比丘(しょうじょうびく)童子
比丘とは修行僧のことで、剃髪し、衣と袈裟を身につけます。
「秘要法品」には右手に五鈷杵、左手に経巻(きょうかん)を持つと規定されていますが、童子像は右手に三鈷杵を持ちます。またその面貌は若くもなく老相でもなく、青い眼で口元は上の歯が下に向かって出ているとされます。「童子」らしからぬ独特の容貌はそのためです。

恵光(えこう)・清浄比丘童子像は快慶の作風があらわれていると言われています。


不動明王図像5 宝寿院

恵喜(えき)童子
「秘要法品」には左手に摩尼宝珠(まにほうじゅ)(福徳の知恵を象徴する)を、右手にはそれを守るように三叉戟(さんさげき)を持つと説かれます。また慈悲深い面相でわずかに微笑みを浮かべ、身は紅蓮華(ぐれんげ)色とされます。童子像を見ますと、そう言われれば少し口を開いており、確かに「微笑」と言えなくもない表情です。
また本像が被(かぶ)るつばのない帽子状の兜については「秘要法品」には記載されていませんが、さまざまなほとけの姿や典拠などを記した図像集「別尊雑記」には「胄(かぶと)黄色」等の記述が見られ、これをもとにしていると考えられます。

不動明王図像6 宝寿院

烏倶婆ガ(うぐばが)童子
「秘要法品」には性格と姿は暴悪であると説かれ、最も忿怒の表情を露(あら)わに表現するよう指示されている童子です。童子像を見ると髪が逆立ち、裳裾(もすそ)と共に風にひるがえっています。肉身の色は金色で、右手に独鈷杵を持ち、左手は金剛手(拳を固める)と規定されていますが、本像は現在暗褐色を呈しています。
念のためですが、「うぐばか」ではなく「うぐばが」童子です。烏倶婆ガの「ガ」は言偏に我と書きます。

八大童子立像は国宝に指定されているのですが、実は国宝指定になっているのは以上の六躯(ろっく)です。では後の二躯は?といいますと、国宝の付属となっています。彩色が施されていない指徳(しとく)・阿耨達(あのくた)両童子像の造立期は他の六躯より少し遅れる鎌倉時代後期〜南北朝時代頃であると考えられています。これは火災など、何らかの理由により当初像が失われたためであると推測されます。


不動明王図像7 宝寿院

指徳(しとく)童子
「秘要法品」には眼が三つで鎧兜(よろいかぶと)を身につけ、左手には完全無欠の智恵を象徴する輪宝(りんぽう)を持ち、右手には煩悩を打ち砕くための三叉戟(さんさげき)を執ると説かれます。童子像はそれらを忠実に表現しているといえます。

不動明王図像8 宝寿院

阿耨達(あのくた)童子
「秘要法品」では身は金色で金翅鳥(こんじちょう)を頭に載せ、左手には蓮華、右手には独鈷杵を持ち、龍王に乗ると説かれます。童子像を見ますと、菩薩の姿で右足を下ろして龍に乗ります。頭部に金翅鳥は見られず、左手には蓮華を持ちますが右手は何も持ちません。ただし何かを持つような形をとっていますので、造立時には独鈷杵を持っていたのかもしれません。指定名称は阿耨多童子と書きます。

高野山の八大童子
鎌倉時代を代表する大仏師・運慶によって造立された国宝の八大童子像はあまりにも有名であり、それを目当てに当館に来館される方も少なくありません。霊宝館に行けば常に八大童子像が見られると来館していただく場合もあるのですが、実は常に見られる、という訳ではなく、文化財保護の観点から、現状では数年に一度、二躯程が主に夏の大宝蔵展で展示される程度であり、八躯全てを一度に見られる機会は少ないのです。
ちなみに元、八大童子像が安置されていたのは、現在、伽藍に建っている国宝・不動堂でした。

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