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高野山 霊宝館(れいほうかん)

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高野山と文化財

高野山文化財年表 奈良〜江戸時代

  • 677年 儀鳳2年(唐)
    • 5月10日
      正智院「文舘詩林」(国宝)が書写される。
      第六十六・六百六十五奥書銘:「儀鳳二年五月十日書手呂神福写」。その他の巻は(宝寿院含)弘仁十四年(823年)に我国で書写されている。
  • 739年 天平11年
    • 5月4日
      正智院「佛頂尊勝陀羅尼経」(重文)が書写される。
      聖武天皇の勅により、一切経一千巻書写された内の一巻。銘:「天平十一年五月四日奉勅・・」。
  • 743年 天平15年
    • 5月11日
      竜光院「放光般若波羅蜜経巻第九」(重文)が書写される。
      光明皇后の御願として書写された内の一巻。奥書:「維天平十五年歳次癸未五月十一日仏弟子藤三女稽首和南。十方諸仏、諸大菩薩諸賢聖衆。弟子孝誠多爽***傾四節有遁践之期千載無重承之望仰託慈悲庶展哀感奉為親魂路敬写一切経一部願以茲写経功徳仰師資二親尊霊帰依浄域曳影於観史之宮遊戯覚林昇魂於摩尼之殿次願七世父母六親眷属契会真如馳紫輿於極楽薫修慧日沐甘露於徳池通該有頂普被無辺並出塵区倶登彼岸」。
    • 5月11日
      金剛峯寺「雑阿含経巻第三十九」(重文)が書写される。
      光明皇后の御願として書写された内の一巻。銘:「天平十五年五月十一日光明皇后御願経」軸付「康永三年十月八日足利直義寄進」。
  • 759年 天平宝字3年
    • 金剛峯寺「増壱阿含経巻第三十二」(重文)書写される。
      奥書:「天平宝字三年十二月十五日、中臣村屋連鷹取書写奥書」。
  • 816年 弘仁7年
    • 7月8日
      弘法大師空海、高野山下賜を上奏し、この年勅許が下る。
  • 892年 寛平4年
    • 5月19日
      慈尊院「弥勒仏坐像」(国宝)が造立される。
      後補裳先墨書銘:「寛平四年歳次壬子五月十九日造仏事己了」。
  • 994年 正暦5年
    • 7月6日
      高野山大火。大塔に落雷、伽藍御影堂を残して全焼し、寺院にも類焼。
  • 1052年 天喜6年
    • 7月26日
      竜光院「大毘盧遮那経巻第一(白朱両点本)・大毘盧遮那経供養次第法疏巻第二」(重文)が明算亡母、四十九日の供養として書写される。
      巻第一奥書:「天喜六年戊戌七月二十六日甲午、日曜、鬼宿、金満日吉三吉願吉日於小野阿闍梨御房受学始同学衆三人者。以同八月五日癸卯三吉願吉日答甚吉日受学己畢。但依大師御点本読之。末代求法沙門明算本也。是則悲母四十九日料所書写供養也。願以此功徳離五障深重之女形證互智菩提之仏果」巻第七にも同様の奥書あり。
  • 1079年 承暦3年
    • 6月
      第1回(記録上)御影堂弘法大師画像修復。仁和寺御室性信法親王の意を受けて観音院寛意に修補せしめた。
  • 1086年 応徳3年
    • 4月7日
      金剛峯寺「仏涅槃図」(国宝)が描かれる。墨書銘:「応徳三年丙寅四月七日甲午奉写畢」。
  • 1114年 永久2年
    • 9月10日
      奥の院に金剛峯寺「比丘尼法薬埋納品」(重文)が比丘尼法薬によって埋納される。
  • 1117年 永久5年〜天治3年
    • 4月15日
      金剛峯寺「金銀字一切経」(国宝)が奥州藤原清衡の発願により書写される。
      六十華厳巻第十奥書:「始自永久五年丁酉二月十五日癸酉至于同年四月十五日一帙奉書之了、執筆金剛弟僧永昭、本檀那散位、藤原清衡、女施主平氏」(最も初期の銘文)。年号の天治三年(1126年)は、三月二十五日付の「中尊寺経蔵別当職補任状案」(平安遺文)参照。
  • 1118年 元永1年
    • 9月11日
      正智院蔵「金剛界成身会三昧耶形図像」(未指定)が描かれる歟。
      銘:「祐照、元永元年九月十一日以三井寺法輪院之本、令応源師写畢、仁和寺慈尊院本」。
  • 1142年 康治1年
    • 6月12日
      宝寿院「決定往生集」(重文)が書写される。
      奥書:「康治元年六月十二日書写」。
  • 1143年 康治2年
    • 9月9日
      宝寿院「往生瑞応伝」(重文)が書写される。
      奥書:「康治二年九月九日書写」。
  • 1145年 久安1年
    • 10月23日
      金剛峯寺「善女龍王像」(国宝)が定智によって描かれ、開眼供養される。
      裏書銘:「金堂善女龍王像、加修補奉掛佛台畢、彼裏書云、久安元年十月二十三日奉開眼供養之、権律師琳賢、図画三井法輪院末流帥君定智云々、正平十五年七月日記之」
  • 1148年 久安4年
    • 3月14日
      金剛心院(谷上大日堂)が前関白宇治入道忠実発願により建立され、本尊として金剛峯寺大日如来像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像(重文)が造立された。
  • 1149年 久安5年
    • 5月12日
      高野山大火。大塔に落雷、伽藍全焼。多くの仏像、仏画類が焼失したと思われる。
  • 1151年 仁平1年
    • 12月16日
      地蔵院「阿弥陀如来坐像」(重文)造立歟。宗賢阿闍梨が鳥羽法皇御願所として東別所に建立した丈六堂の本尊の可能性。
  • 1153年 仁平3年
    • 仲夏中旬
      宝寿院「日本法華験記上」(重文)が珎光によって書写される。
      奥書:「仁平三年酉仲夏中旬於多武峯書了、珎光、一交了」。
  • 1156年 保元1年
    • 4月29日
      金剛峯寺「両界曼荼羅図(血曼荼羅)」(重文)が絵師常明法印によって描かれる。平清盛の頭血を採り絵の具に和して描かせた。
  • 1159年 平治1年
    • 7月2日
      金剛峯寺「紺紙金字一切経(荒川経)」(重文)を美福門院が鳥羽法皇追善のため荒川の荘を寄進して書写し、伽藍に六角経蔵を建立して納める。
  • 1173年 承安3年
    • 6月1日
      西南院蔵「五部心観」(重文)が書写される。
      銘:「承安三季六月一日以民部卿律師教智本図写了、□記」。
  • 1186年 文治2年
    • 4、5月
      西南院「和泉往来」(重文)が書写される。
      奥書:「新別所申時許同所點了書写了、金王丸本也、文治弐年四五月書写了」。
  • 1192年 建久3年〜建仁3年
    • 金剛峯寺「四天王立像、快慶作」(重文)この頃造立される。
  • 1197年 建久8年
    • 4月
      普賢院「五大力菩薩像」(重文)が豊前五郎為広によって描かれる。
      銘:「建久八年丁巳四月日豊前五郎為広筆、裏打修復天文九庚子六月六日奉行幸忠、住吉大明神、元和八年壬戌九月十三日表具調之、奉行西蔵院*菓、松院賢忠、表具師慶厳」。
    • 6月18日
      金剛峯寺「銅仏餉鉢」(重文)が勧進聖人印蔵によって製作される。
      台銘:「建久八年丁巳六月十八日庚申、奉鋳之、勧進聖人印蔵」。
  • 1200年 正治2年
    • 11月11日
      金剛峯寺「孔雀明王像」(重文)が仏師快慶によって造立される。11月11日は孔雀堂落慶日。
  • 1210年 承元4年
    • 11月
      金剛三昧院「銅鐘」鋳造される。銘:「承元四年十一月日鋳之」。
  • 1217年 建保5年
    • 9月14日
      金剛峯寺「即身成仏品」(重文)が静遍によって御影堂に納められる。
      添状:「建保五年九月十四日静遍相承記」。
  • 1220年 承久2年
    • 4月12日
      遍照光院「一字金輪曼荼羅図」(重文)を深賢が伝領する。
      軸付押貼銘:「承久弐年卯月壱拾弐日参遍智院之次伝領之、深賢」。制作はこれより幾分遡る。
  • 1223年 貞応2年
    • 金剛三昧院「多宝塔」(国宝)を建立。北条政子が源頼朝、実朝の菩提のために、安達景盛に命じて建立。
  • 1224年 貞応3年
    • 11月21日
      金剛峯寺「聖観音造立願文」(重文)が能書家、教家によって書写される。
      奥書銘:「貞応三年十一月二十日弟子二位行権大納言藤原教家敬白」。
  • 1245年 寛元3年
    • 7月21日
      金剛峯寺「大日如来像」(重文)が開眼供養される。
      押紙銘:「寛元三年七月二十日奉開眼畢、僧正実賢、金剛胎蔵両部中台大日如来□随□精誠敬奉図画之胎蔵大日可奉置上醍醐尊師影堂金剛界大日、□金剛峯寺御影堂奉安置之編是為出離生死頓證菩提也牟同四年十一月二十五日金剛仏子孝阿弥陀仏敬白」。
  • 1248年 宝治2年
    • 9月中旬
      三宝院「五行大義巻第五」(重文)が校点される。
      銘:「宝治二年九月中旬校点之」。
  • 1272年 文永9年〜建治1年
    • 成蓮院「地蔵菩薩立像」(重文)がこの頃造立される。胎内納入品の中に文永九年建治元年銘文あり。
  • 1273年 文永10年
    • 11月8日
      蓮華院「孔雀文磬」(重文)制作される。
      銘:「文永十年十一月八日」。
  • 1277年 建治3年
    • 5月4日〜
      金剛三昧院本「高野版板木」の『大毘盧遮那成仏経疏』が開版される。
      刊記・書写記:「建治三年丁丑五月四日於金剛峯寺信藝書」「弘安元年十一月十一日金剛仏子良和記之」。
  • 1280年 弘安3年
    • 1月25日
      金剛峯寺「銅鐘」(重文)奉納される。
      奉納銘:「弘安三年正月二十五日」。
  • 1281年 弘安4年〜
    • 1月3日
      西南院「五輪塔」(県指定)建立される。
  • 1285年 弘安8年
    • 10月21日
      金剛峯寺「町石建立供養願文」(重文)が奉読される。町石建立は文永二年(1265年)に発願され、山下に百八十本、山上に三十七本建立された。
      銘:「弘安八年十月二十一日、覚□敬白」。
  • 1294年 永仁2年
    • 9月24日
      常喜院「地蔵菩薩座像」(重文)が仏師院修によって造立される。
      胎内銘:「大仏師法印院修作者、法眼院湛、法眼院昌、法橋院亮、永仁二年甲午九月二十四日」。
  • 1307年 徳治2年
    • 11月1日
      三宝院「白氏文集巻第三残巻」(重文)を実辨が書写する。
      奥書:「題干時徳治弐年拾壱月一日於河内国観心寺房書写了右筆僧実辨」
  • 1309年 延慶2年〜3年
    • 6月5日〜
      円通寺「十巻抄」(重文)が印玄によって書写される。
      巻第一銘:「延慶二年六月五日於仁和寺真光院書写了、金剛仏子印玄、生年三十二、次年七月十八日二校了」。
  • 1310年 延慶3年
    • 2月25日
      西南院「覚禅鈔」(重文)が実遍によって書写される。
      巻題百九吉祥天奥書銘:「延慶三年庚戌二月二十五日於信太森菩薩院書写了申畢、金剛仏子実遍五十歳」。
  • 1312年 正和1年
    • 10月
      金剛峯寺「華形大壇」(重文)が澄喜によって天野社に安置される。
      墨書銘:「天野社、正和元季壬子十月安置之、奉行阿闍梨澄喜」。
  • 1335年 建武2年
    • 12月2日
      金剛峯寺「金剛峯寺根本縁起」(重文)が制作される。
      銘:「建武二年十二月二日令正校畢、正二位行中納言兼大蔵卿左京大夫□□侍従藤原朝臣公明」。
  • 1342年 興国3年
    • 3月21日
      金剛峯寺「蒔絵螺鈿筥」(重文)が文観上人弘真によって御影堂に寄進される。
      寄進状銘:「右件三衣右三代御門御相承之御袈裟也。然而自後醍醐天皇所下給也。□惜如已身所随身奉持也。等奉為報高祖大師之恩徳且依有霊応之告即所奉納高野山御影堂也。永為大師御持衣堅不可被出寺門者也。仍寄進状如件。興国三年壬午三月二十一日。東寺座主前大僧正法印大和尚位弘真。御相承次第。亀山院。御宇多院。後醍醐天皇」。
  • 1360年 正平15年
    • 4月1日〜17日
      第2回(記録上)御影堂弘法大師画像修復。一山衆徒の奏請によって綸旨を賜り灌頂院にて補修を行う。
  • 1375年 正和1年
    • 7月
      奥の院参道に金剛峯寺「禅尼上智碑」(県指定)が沙弥蓮阿によって建立される。
      銘:「為禅尼上智聖霊、奉造立沙弥蓮阿、永和元年乙卯七月日」。
  • 1384年 至徳1年
    • 11月24日
      宝寿院「地蔵菩薩像」(重文)が宥快によって開眼供養される。
      幅背銘:「至徳元年甲子十一月二十四日奉開眼供養、導師宥快念誦僧、宥信尊宥宗有、開宝部内証利法界衆?釈尊遺嘱度□渝群類冶矣、画師祐圓、地蔵菩薩、□□院、円福院、宝性院」。
  • 1387年 嘉慶1年
    • 遍照光院「不動明王二童子像」(県指定)が周沢によって描かれる。
  • 1401年 応永8年
    • 正月19日
      伽藍西塔炎上、新御塔、文殊楼、本経蔵、正智院一切経蔵に類焼。多くの聖教類が悉く焼失。
  • 1412年 応永19年
    • 7月25日〜31日
      第3回(記録上)御影堂弘法大師画像が竜光院にて修復される。
  • 1430年 永享2年
    • 6月26日
      西南院「後小松天皇宸翰秘調伝授書」(重文)が後小松天皇によって宸翰される。
      奥書:「永享二年六月二六日」。
  • 1454年 享徳3年
    • 3月
      金剛峯寺「舞楽装束類」(重文)が調進される。
      銘:「紀州天野宮一切経会楽人十二具内、享徳三年甲戌三月日於釈迦文院造之、奉行憲乗」。
  • 1464年 寛正5年
    • 7月3日
      高野山大火。高野山衆徒、堂衆と西院、谷上、南谷で合戦し、谷中で11ヶ寺を残して悉く焼失。
  • 1465年 寛正6年
    • 8月13日〜8月22日
      第4回(記録上)御影堂弘法大師画像が御影堂外陣にて修復される。
  • 1486年 文明18年
    • 4月8日
      金剛峯寺「諸尊仏龕」(国宝)付属「銅製厨子」が製作される。
      刻銘:「文明十八年卯月八日作」。
  • 1494年 明応3年
    • 8月13日〜21日
      御影堂弘法大師画像修復される。「聖派与阿弥財施を以てなり」。
  • 1504年 永正1年
    • 4月8日
      金剛峯寺「銅鐘」(重文)が造立される。
      銘:「永正元年卯月八日及元亀三年七月」。
  • 1521年 永正18年(大永1年)
    • 2月12日
      高野山大火。寺院より出火、大塔、金堂以下伽藍300余宇・塔婆19基、僧坊など3900余宇を焼失し、全山壊滅状態となる。
  • 1522年 大永2年
    • 金剛峯寺山王院本殿(丹生明神社・高野明神社・総社)付属鳥居・透塀(重文)が建される。
  • 1589年 天正17年
    • 持明院「浅井長政像・浅井長政夫人像」(重文)が、長政十七回忌、夫人七回忌にあたるこの年に描かれた。
  • 1590年 天正18年
    • 伽藍六角経蔵本尊、宝冠釈迦如来坐像が大仏師康正によって造立される。
  • 1594年 文禄3年
    • 2安養院「文禄三年連歌懐紙」(県指定)が書写される。豊臣秀吉が高野山を参詣し、生母大政所の三回忌追善法要を行う。そのおり、連歌や能の会を催す。
  • 1599年 慶長4年
    • 3月21日
      奥の院「経蔵」(重文)を石田三成が母の菩提の為に建立し、金剛峯寺「高麗版一切経」(重文)を同経蔵に奉納。
    • 6月
      正智院「高麗陣敵味方戦死者供養碑」(県指定)が鹿児島藩主島津義弘、忠恒親子に依って建立される。朝鮮役における敵味方の戦死者を供養。
    • 10月15日
      清浄心院「佐竹義重霊屋」(重文)が佐竹為義重逆修の霊屋として造立される。
      柱銘:「常陸国佐竹為義重逆修造立之、慶長四己亥十月十五日」。
  • 1604年 慶長9年・12年
    • 蓮花院「松平秀康及び同母霊屋(付属宝篋印塔七)」(重文)が造立される。秀康の亡母(家康の側室)を祀るため、慶長九年に造立。また、慶長十二年四月八日には松平忠直によって、松平秀康(家康の子)の霊屋として、その隣に造立される。
  • 1622年 元和8年
    • 天徳院「天徳院庭園」(重文)が小堀遠州によって造園される。
  • 1624年 寛永1年
    • 8月21日
      金剛三昧院「刀(銘繁慶)」(重文)二口を鉄砲鍛冶師小野繁慶が製作し、同寺に奉納。
  • 1627年 寛永4年
    • 9月15日
      蓮花院「崇源夫人五輪石塔」(県指定)を駿河大納言忠長が亡母追善のために建立。
      刻銘:「妣寛永四年丁卯九月十五日、崇源院殿一品大夫人、昌誉大禅定尼、奉為光妣追善、駿河大納言忠長」。
  • 1630年 寛永7年
    • 10月7日
      高野山大火。大塔に落雷。暫くして塔腰部より猛火が起こり炎上焼失。伽藍諸堂をはじめ多くの寺院が類焼。
  • 1640年 寛永17年
    • 8月11日
      金剛峯寺「真然堂」(県指定)が再建される。
  • 1643年 寛永21年
    • 金剛峯寺「徳川家霊台」(重文)が建立される。
  • 1660年 万治3年
    • 9月1日
      真然廟本尊真然大徳坐像が仏師久七康以によって造立される。
      墨書胎内銘:「萬治三年子九月一日、七条大仏師康正法印、第一子伊勢之久七康以作、同子左兵衛、康寿」。
  • 1662年 寛文2年
    • 7月17日〜8月12日
      第6回(記録上)御影堂弘法大師画像が無量寿院にて修復される。
  • 1665年 寛文5年
    • 11月11日
      金蔵院「愛染明王像」(重文)が造立される。
      像底朱漆銘:「奉寄進青巌寺持佛堂本尊、愛染明王像一躯、為満山静謐佛法興隆也、願主第二百四十六代寺務、明王院法印懐宣宗春房、寛文五乙巳年霜月十一日新安置之」。光背裏下:「寺務明王院、法印、懐宣、宗春房寛文五年霜月十一月新安置之」。
  • 1677年 延宝5年
    • 10月15日
      金剛峯寺「紺紙金泥般若心経」(重文)が霊元天皇によって宸翰される。
  • 1690年 元禄3年
    • 落雷により大門炎上。
  • 1691年 元禄4年
    • 千手院萬精院より出火、安養院まで延焼し89ヶ寺が全焼。
  • 1703年 元禄16年
    • 大門金剛力士立像(県指定)が造立される。阿形(仏師康意)、吽形(仏師運長)製作。
  • 1705年 宝永2年
    • 金剛峯寺「大門」(重文)が建立される。
  • 1736年 元文1年
    • 9月15日
      応徳仏涅槃図が修復される。
      銘:「元文元年丙辰天九月十五日修復□、検校南院教栄、年預坊五坊、表具師高木伊兵衛」
  • 1792年 寛政4年
    • 2月16日
      夜八ツ時、奥之院護摩堂より出火、焼失する。
  • 1805年 文化2年
    • 7月22日
      第7回(記録上)御影堂弘法大師画像が竜光院本堂にて修復される。
  • 1809年 文化6年
    • 南谷から出火し、中門、勧学院一帯が類焼す。
  • 1843年 天保14年
    • 9月1日
      高野山大火。壇上宝蔵の軒先から出火し、大塔をはじめ諸堂14棟が悉く焼失。
  • 1854年 嘉永7年
    • 中門二天像が京都川本右京康直(29才)によって造立される。
  • 1863年 文久3年
    • 現在の金剛峯寺「青厳寺本殿」(県指定)が再建される。万延元年(1860年)に焼失したことによる再建。

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